昨日の続き

doumoto 『ソレ、例文の日本語がおかしいっていうか、意味不明なので、長い短い以前の問題じゃん。つーか、名前に光一が入ってるのに糞虫なので許さん( ̄ー ̄)。』

# doumoto 『つーか、元ヌタは太宰なの名。チンコがもげて死ねばいいのに。(´ー`)y-~~。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/275_13903.html

ということなので、元ネタが入ってる段落ごと引用してみる(´Д`)y-~

 いけない、いけない。お客様へ、早く夕食差し上げなければ。さっきの大きいお魚は、どうするのだろう。とにかく三枚におろして、お味噌につけて置くことにしよう。そうして食べると、きっとおいしい。料理は、すべて、勘で行かなければいけない。キウリが少し残っているから、あれでもって、三杯酢。それから、私の自慢の卵焼き。それから、もう一品。あ、そうだ。ロココ料理にしよう。これは、私の考案したものでございまして。お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切(いっさいがっさい)、いろとりどりに、美しく配合させて、手際(てぎわ)よく並べて出すのであって、手数は要らず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑(にぎ)やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢(ぜいたく)な御馳走のように見えるのだ。卵のかげにパセリの青草、その傍に、ハムの赤い珊瑚礁さんごしょう)がちらと顔を出していて、キャベツの黄色い葉は、牡丹(ぼたん)の花瓣(かべん)のように、鳥の羽の扇子のようにお皿に敷かれて、緑したたる菠薐草(ほうれんそう)は、牧場か湖水か。こんなお皿が、二つも三つも並べられて食卓に出されると、お客様はゆくりなく、ルイ王朝を思い出す。まさか、それほどでもないけれど、どうせ私は、おいしい御馳走なんて作れないのだから、せめて、ていさいだけでも美しくして、お客様を眩惑(げんわく)させて、ごまかしてしまうのだ。料理は、見かけが第一である。たいてい、それで、ごまかせます。けれども、このロココ料理には、よほど絵心(えごころ)が必要だ。色彩の配合について、人一倍、敏感でなければ、失敗する。せめて私くらいのデリカシイが無ければね。ロココという言葉を、こないだ辞典でしらべてみたら、華麗のみにて内容空疎の装飾様式、と定義されていたので、笑っちゃった。名答である。美しさに、内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。きまっている。だから、私は、ロココが好きだ。

なんでよりによってこんな抜き出しちゃいけない部分を抜き出したんだろう(´Д`)y-~
前置きがあり、後に展開する繋ぎの部分なんだからそれだけ抜き出したら意味不明になるに決まってるじゃないか
小説の文章というのはその小説の中にあってこそ意味があるもんなんだから
せめて一段落はまるまる示さないとid:doumotoの人の言うとおりおかしい日本語になっちゃう
つうかこうやって段落で読むとなかなか面白い文章で直す必要ないし


つうか米光さんも例文くらい自分で書けばいいのに