魂の炉

先日個人で書店をしている知人と久しぶりに会った。
現状を聞くにつれ、あいもかわらず書店が存続するために正社員もバイトも関係なく本好きたちの魂が資本主義の炉にくべられ続けているのだと思った。
売り場を作る、というそれだけでどれほどの下地が必要であるのか。
例えば、コミック売り場を管理するバイトくんは毎月何冊のコミックを買っているのか。
文庫売り場を維持している正社員は今までに何冊の文庫を購入しているのか。
問えば「まあ仕事じゃなくて好きで買ってるわけだし」と答えるのだろう。
バイトのうちならまだいいが、正社員となったとき、明らかに収入に見合わない大量の書籍の購入は生活を圧迫する。
それを、「好き」で持ちこたえている。
いつか、持ちこたえられなくなったとき、「好き」は燃え尽きていることが多い。
あなたが書店に入るとき、そこにある棚は、平積みは、品揃えは書店員の魂が煌かせている輝きだ。
それがあなたの趣味でなくとも、輝きを失いつつあっても、それでもそれは本が好きな人の、本が好きであった人の、本が好きでありたい人の、本が好きでありたかった人の魂の炉だ。
そして書店はもはや本好きの魂を燃やし尽くすだけの炉だ。
書店は次から次へと本好きを使い捨て、魂を焼き尽くす。
それがあまりに悲しくて僕は本屋に行けなくなってしまったのです。