何故俺がいたむのか
普段ネタにしてなかったくせに死んだら途端に追悼とか書きやがってという批判は正しい(´Д`)y-~
同時に彼が死んで悲しいと書くのも正しい
誰も間違っていない
彼は人生で求めたものすべて、いやそれ以上を手に入れました。だから我々が彼のために悲しむ理由は何一つありません。ただ、彼を失った我々自身のために悲しむのです。彼のような人物が再び目の前に現れることはないでしょう
ジョン・ヒューストンがハンフリー・ボガートにおくったとされる弔辞だ
死は悲しい
遠い中東の地で子供が兵士の放った銃弾で
隣の県で老人とその孫が車に撥ね飛ばされて
たとえ実際に会ったこともなくネットの片隅で同じときを過ごしていただけの人でも死んだと聞いた時にどうしようもない脱力感とともに悲しみがわきあがってくる
それは己を哀れんでいるのと同じか似たようなことなのだ
死は悲しい
それは生きる意味の一つでもある